還源(げんげん)とは

『性薫(しょうくん)我を勧めて還源(げんげん)を思いとす。経路未だ知らず。岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く。』という、空海が残した有名な一節があります。

意味を解読すると、「自分の中にある本来の仏心が目覚め、源に還りたいと思うようになった。しかし、未だに進むべき道が分からず、岐路に立って何度も泣いた」という感じでしょうか。

あの空海が「本来進むべき道(還り道)が自分の中では分っているはずなのに、その還り方(道)が分からず分岐点に立って何度も泣いた」と言い残したわけです。この一節は様々な文献でも取り上げられ、各方面の専門家によって研究されてきました。空海は『悲しい』という表現をよく使いましたが、『泣く』という表現はこの一節だけなのです。ここに、人生に幾度と訪れる分岐点での空海の苦悩が分かります。

この言葉から皆さんは何をおもい、どんな教訓を読み取りますか?

「空海も人並みに悩み、人生の岐路では何度も苦しんだのか」と、空海に対して親近感を覚えた方も居るでしょう。

「空海でも迷うわけで、自分も沢山迷い悩んでも良いのだ」と、励ましの意味で捉える方も居ることでしょう。

逆に「仏心を理解することは、やはり難しい」と捉え、人生の大変さを改めて感じた方も居るかもしれません。

人それぞれ、感じ方や捉え方は自由です。

【私は次のように感じました】

即身成仏(生きた状態で仏心がわかる状態)を目指し、悟りの域まで達したはずの空海。
自分は全てを捨てることが出来ると思い岐路に立った時、肉体を持っているが故に捨てられないモノを抱えた自分に気付いて悲しいと思った。そんな自分には源への還り方も分かるはずもなく、その発見の方法も次世代への伝え方すら分からずに泣いた。おそらく仏(神や宇宙)との対話を試みていた空海は、確信的な対話の方法がみつからなかったのではないのでしょうか?
空海はストイックに仏との対話に向かっていたはずです。しかし自分の中に既に仏から分け与えられている本当の自分(魂)が居て、その魂との対話が天の意思を掴むことに繋がるということに気付けなかったのかもしれません。シンプル過ぎて拍子抜けするかもしれませんが、空海は本当の自分と真に向き合うことの大切さを時空を超えて教えてくれているのかもしれません。最後に還源(げんげん)『源に還る』は魂の元居た場所に還るという意味ですが、もちろん死に方を説いているのではありません。人生には幾つもの道があります。その中で魂の基準で選択した道を進むことが天が望む道だとするならば、その道を選択して進むことが喜んで生きることに繋がるはずです。源に還るとは、いつか魂が後悔することなく還る時のために、今を精一杯に喜んで生きる!ということなのではないのでしょうか?
もちろん喜んで生きる道の選択は何かにすがったり拝んだりするのではなく、『自分自身と対話する』というシンプルな方法で気付くことが出来ると私は思います。

還源師 喜生

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